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2023年、(大村市立)郡中学校・先生の戦争遺跡巡り(下見)(概要紹介)
(写真A)  10月17日に下見された郡中学校の先生
今富町、大神宮の境内、招魂碑の(戦争慰霊碑)の前にて
(写真1)  福重端の記念碑
(沖田町、郡川の左岸にある。)

(大村市立)郡中学校・先生、戦争遺跡巡り(下見)(概要報告)
(写真2)  郡川の飛び石」の史跡説明板
(奥側は郡川)
(写真3) 現在の郡中学校の敷地=
第三五二海軍航空隊(「三五二空」、「草薙部隊」)跡
(写真4)  皆同砲台の極一部 (皆同町)  
(写真5) 福重飛行場跡(右側)、今富町 
(写真6) 招魂碑(左側)、今富町
(写真7) 福重砲台跡(地下室への入口)、今富町 
(写真8) 福重飛行場跡近くにある誘導路橋の基礎部(今富町)
(写真9) 福重飛行場(当時:長さ950m、幅30m)

日時:2023年10月19日(15時30分〜16時30分
参加::9名 、 案内担当:上野
場所:下記<戦争遺跡見学場所>を参照

 注1:11月の本番「郡中学校1年生の戦争遺跡巡り」では、下記注22つ(時計回りと、逆時計回り)のコースが予定されているが、見学場所は、どのコースも同じである。

 注2:2つのコースは、「時計回り」(学校、沖田町ー皆同町ー今富町ー竹松本町ー学校)で歩くグループと、「逆時計回り」(学校ー竹松本町ー今富町ー皆同町ー沖田町、学校)である。

 注3:今回の先生方の下見は、車2台で同時案内だったため、上記の「逆時計計回り」(学校ー竹松本町ー今富町ー皆同町ー沖田町、学校)での見学となった。

 注4:今回のコース周辺には、戦争遺跡とは関係のない多数の古代から近代までの史跡もある。また、「2020年、大村水害」も多くあった。そのため、上野が車中から説明した以外にも下記の通り、その史跡名を書いてリンク先を表示している。あくまでも、ご参考程度に閲覧願いたい。

趣旨や主な内容など
 趣旨:今回の郡中学校の先生による戦争遺跡巡りは、同校1年生(約230名)の本番の日に備えて下見の意味があった。また、地図上だけでは分かりずらい道路状況(車道•歩道や安全確認など)、史跡の実地確認などの目的もあった。

 時間との関係で車使用の見学となった。しかし、戦争遺跡が確認できる要所では降車して、上野から説明もおこなった。また、戦争遺跡とは全く関係ない古代から江戸時代までの史跡もコース周辺にあるので、その名称旧跡も紹介程度におこなった。

 なお、今回、コース順路や地図上のポイント確認が主だったので、戦争遺跡そのものの詳細説明はしなかった。史跡巡りやコース順路の確認後、車中で「福重ホームページにリンク先を張っているので、それらも、ご確認願いたい」と申し上げた。

<戦争遺跡見学場所>
 先の注2の通り、「時計回り」 「逆時計回り」の違いはあるが、歩く道路も見学する場所も同じなので、下記の主な史跡名は「時計回り」順で書いている。史跡の詳細を知りたい方は、各史跡リンク先から確認して頂きたい。

 1) 現在の郡中学校の敷地=第三五二海軍航空隊(「三五二空」、「草薙部隊」)跡。<(写真2)を参照 注:当時、この「三五二空」は郡中学校から宮小路まであって全体の敷地は目測で南北約950m、東西約350mあった>

 2) 福重端の記念碑(沖田町、郡川の左岸にある。写真1を参照)

 3) 郡川の飛び石(皆同町、郡川の右岸にある。写真2を参照)

 4) 皆同砲台跡(皆同町、福重地区住民センターの裏山)は、小高い丘の北側部分で南北(横幅)約160m、東西(縦)約70mにあった。<(写真4)を参照 注:当時の地上部分が一部そのまま現存している。この地上部の地下に倉庫・弾薬庫・指揮所などがあった>

  5)福重飛行場跡は、現在の今富町や皆同町にある細長い農道、耕作地や住宅地<(写真5、写真9)を参照 (注:当時の滑走路の大きさは長さ950m、幅30mの薄いコンクリートだった。現在はその内、長さ約890m、幅約2.5mの一直線の農道がある)

 6)招魂碑(戦死した軍人、空襲で亡くなった民間人の慰霊碑である)(今富町、大神宮の境内にある) <(写真6)を参照> その手前側が顕彰碑で、これにアメリカ軍の戦闘機の機銃で射殺された福重小学校の児童の名前もある。 (なお、この大神宮の境内には戦争遺跡とは関係ないが「石割樫(いしわりがし)」や「亀石(かめいし)」もある)

 7)福重砲台跡(今富町の帯取の丘) 当時、直径約200mの範囲内に高射砲の陣地があったという。<(写真7)を参照> (この周辺でアメリカ軍の激しい空襲で軍人多数と福重小学校の児童も亡くなっている)

 7)誘導路橋の基礎(丸太の柱穴の残るコンクリート(<今富町、佐奈河内川(さながわちがわ)の川床。写真8を参照>今でも頑丈に残っている。大きさは長さ約30m、幅約1m。 注:この周辺は「2020年7月6日、大村水害」で大きな被害があり、現在、川の拡幅や矢次2号橋の架けかけ工事中である。

 以上が、「時計回り」主な戦争遺跡の見学場所である。このコース順で見学が終了したならば、後の道は郡川(こおりがわ)に架かる矢次橋を渡ると竹松本町に入る。そして、この町内に近年できた新しい道路の歩道を歩くと、沖田町(上河原)に入り、次に国道34号線の歩道に出ると、郡中学校の正面入口となる。

 なお、もう一つの「逆時計回り」コースは、上記の番号順の逆から歩いていく順路である。そのため、戦争遺跡の名称やリンク先は、先の番号と重複するので、このページでは省略する。 (上記の工程では、全くの参考数値ながら、以前のデータ=「スマホの万歩計では約6km」の距離であった)

 今回、下見に参加された先生方、お疲れ様でした。
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 下記の「関係ページ」は、上記のような戦争遺跡ではないが、このコースを歩き、見学していけば必ず近くにある古代~近代までの史跡もあるので、ご参考程度に、その極一例をご覧頂きたい。

*関係ページ
 ・沖田町---<福重端の記念碑
 ・皆同町---<郡川の飛び石> <今富城跡> <皆同の侍の墓
 ・今富町---<大神宮> <石割樫(いしわりがし)> <亀石(かめいし)> <尾崎城跡(おさきじょうあと)> <十二社権現跡と帯取殉教地の本当の場所(史跡説明板あり)> <間違い場所にある帯取殉教地と記念碑

 なお、このコース周辺は、2020年7月6日に発生した「大村水害の被害場所でもある。ずっと、復旧工事中ではあるが、まだ、佐奈河内川(さながわちがわ)の今富橋周辺の田畑は、水害のままの状態も一部ある。

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2023年の関係ページ
 「2022年9月29日、郡中学校。先生の戦争遺跡巡り(下見)(概要報告)」----このページ  「2023年10月24日、ガイダンス」  「2023年10月30日、郡地区の空襲と戦争遺跡の講話」 「2023年10月24日、校外学習・戦争遺跡巡り」

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2022年の関係ページ

 (4項目あるが、準備中)

2021年の関係ページ
 2021年度、郡中学校の総合学習関係・概要報告ページのリンク先は、下記の通りである。ただし、あくまでも上野が案内や講話したことのみである。そのため、ご参考程度にご覧頂きたい。
(1)2021年8月24日、2先生の空襲・戦争遺跡巡り
(2)2021年10月6日、1年生、総合的学習・ガイダンス
(3)2021年10月7日、「郡地区の空襲と戦争遺跡」講話
(4)2021年10月7日、8日、先生の「戦争遺跡」下見



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