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(2016年度)福重小学校・郷土史クラブ(白馬様の講話)
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福重小学校・郷土史クラブ(白馬様の講話)
日時:2016年10月26日、14時55分〜15時55分
場所:福重小学校
出席:全体14名(児童は10名、あとは先生方)
講師:上野が担当(右側写真は講話中)

主な内容:白馬様について
 下記は、話した内容の概要のみです。主にA3サイズ写真約10枚を用いて福重小学校にある白馬様及び、その関係史跡について話しました。

 また、その下段に質疑応答の内容も書いています。さらに下段には、個別事項で詳細な説明のあるリンク先ページも掲載していますので、ご参照願います。

<講話(概要)
 皆さん、こんにちは。今日は一緒に福重小学校にある白馬様や学校の歴史について勉強しましょう。まず。福重小学校は、1872(明治5)年8月に創立されました。公立の小学校としては、大村市内で最も古い歴史ある小学校です。場所は、当時の福重村寿古郷(現在の大村市寿古町)で、児童数8名でした。当初は松原と一緒でしたが、その後、松原は分離し、松原小学校ができました。

  1891(明治24)年、郡川の水害で校舎が流され、2年位、今富郷(町)の仮校舎で勉強しました。1894(明治26)年、皆同郷(町)の「城の前」に新校舎ができて移転しました。

 1941(昭和16)年1月以前、宿直室で泊まっていた先生が、天井や廊下で白い馬がパカパカ走る、あるいは侍が刀で切り合う音がすることを経験されました。そのことで福重村の村長へ、相談されました。しかし、最初、村長は信じなかったのですが、自分も宿直室に泊まって同じことを体験されました。

 それで、学校敷地に言い伝えがあり、「この付近は古戦場の跡のようだ。白馬の霊や侍の無縁仏を祀ろう。そうすれば、これはおさまる」として白馬様の石祠を建てました。すると、宿直室の夜には、もう白馬様も侍の刀で切り合う音もしなくなったばかりではなく、病気がちだった先生も元気になられそうです。

 その後、白馬様は児童と先生の守り神様として現在も、福重小学校や福重幼稚園の先生、福重地区内の10町内会長、PTA役員、保護者、地域の方々が大事にしてこられました。
 
<講質疑応(概要)
 Q1:白馬様に、名前はなかったのか?
 A1:馬の名前は、なかった。霊(れい)とか夢に出てくる「白い馬だった」と伝わっているだけだ。

 Q2:(石祠の中にある)木には、なんて書いてあるのか?
 A2:詳しく調べていないが、妙宣寺の方が書かれ、白馬の守り神とかいう文字かもしれない。

 Q3:(石祠の)真ん中にある丸い形をしたものは、何か?
 A3:銅製のご神体である。

 Q4:このような白馬様は、他にもあるのか?
 A4:学校内に児童と先生の守り神様があるのは大村市内では福重小学校だけだ。長崎県内でも全国でもないか、たとえあったとしても珍しいくらい少ないと思う。だから、大学の教授はじめ今でも見学者もある。

 まだまだ、質疑応答はありましたが、その部分は省略しています。

<主な内容の詳細ページのリンク先
1)福重小学校の開校の歴史
2)福重小学校の歴史
3)福重小学校・本校跡(寿古町)の記念碑

4)皆同町にある福重小学校の本校跡
5)福重小学校にある白馬様
6)史跡説明板、福重小学校・白馬様

 最後に児童代表から、「上野さんには、教えて頂き、ありがとうございました。」との感謝の言葉がありました。私の方こそ、教えてもらって感謝申し上げます。出席された皆様、お疲れ様でした。

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(上野の感想)
 今回の郷土史クラブの内容は、学校内では誰でも知っている「白馬様」がテーマでした。しかし、白馬様にまつわる話自体は、短期間で、しかも分かりやすい内容ではあります。ただ、それまでに至る経過、その後、現在まで75年間くらい学校、地域一体となり、児童や先生を守るため様々な事柄を関連して話していくのは、A3サイズ写真約10枚や資料の準備含めておこないました。

 内容については、児童の熱心な質問含めて、ほぼ分かって頂けたと思っています。11月には、白馬様に関係する史跡の実地見学も含めて予定されていますので、今後の計画も楽しみです。毎回、輝く瞳を間近に見ますと、いつも呼んで頂いて、上野の方こそ、勉強になるなあと実感しています。



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