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大村の偉人・有名人・活躍人シリーズ  深澤儀太夫勝清(ふかざわ ぎだいゆう かつきよ)  


 原口 富一(はらぐち とみいち) 
原口 富一   旧・海軍大村航空隊敷地の返還と開墾の功労者(立役者)
          
  この人の名前から「冨の原」(地名)町名となった

(写真1) 昭和天皇(手前右側)の巡幸時、中央で挨拶中の原口富一
「むかしの竹松」掲載写真(1949年5月25日撮影。松本氏提供)
戦後の混乱期、大変な功労により慕われ現在の地名「富の原」の名前までなった方
 まず、大村市内の富の原(地域)に「富の原1丁目、2丁目」あるいは、この地域に「富の原小学校」などがあることは、市民ならどなたでもご存知のことでしょう。

 しかし、この地域は最初から「富の原」ではありませんでした。戦前(戦後の一時期も含め)旧・大村海軍航空隊・滑走路(草地)が開設・拡張されるまでは、旧・今津郷、字(あざ)大川田、黒丸郷などがあった地域に該当します。そして、先の滑走路の開設や拡張時、農家にとって収入の源である農地や居住する家屋や敷地まで国から事実上、強制接収と立ち退きになったのでした。

 そして、終戦になり、米軍(占領軍)が接収していた旧・海軍航空隊と滑走路敷地の返還を求めて交渉されたのが、「旧大村飛行場跡開拓団 大村開拓農業協同組合」(組合長・原口富一)でした。その労苦と功績を讃えるために、原口富一 氏の「」の一文字をとって、富の原の名称になったのでした。ここからは、上野の推測ながら、大村の近代史で地名(町名)までなった方は、いないと思われます。それだけ、大きな功績があった方でしょう。


 (さらに原稿は続きます。他の写真や古い地図なども含めて準備中ですので、しばらく、お待ちください)

 作成者の上野からお願い:原口富一さんの正面写真、経歴などの情報をご存知の方、どうか、よろしくお願いします。メールは、次の「メール」ページから、よろしく。


・写真説明


 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)



富の原開墾記念碑


 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)





・参考資料:「参考書籍・資料一覧表ページ」 

・関係ページ: 

(掲載日:2020年6月10日、第二次掲載日: 月 日、第三次掲載日: 月 日、第四次掲載日: 月 日、第五次掲載日: 月 日、第六次掲載日: 月 日)


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