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福重の写真集 その284
2014年、萱瀬中学1年生、氷川神社見学と郷土史講演会(概要報告)

開催日時:2014年10月29日13時30分〜15時35分  場所:氷川神社、萱瀬地区住民センター
参加:
22名(1年生20名と教師の方2名)         講師:上野が担当しました。
(写真は、上部が氷川神社の階段にて。下部左側が萱瀬地区住民センターで講演中)

 大村市立萱瀬中学校1年生は、総合的な学習の時間に、「地域について知る」、「ろう学校について知る」というテーマのもと、地域の方と一緒に田植えをしたり、ろう学校を訪問したりという活動を行っておられます。

 その一環として、大村の郷土史についても知ろうとの計画もあります。そして、今回、「萱瀬地区の名所や旧跡」についての「出前授業」の要請が、上野宛にありました。

 私は、今回で3年度連続で「出前授業」担当となりました。内容については、これまでの2年間と違って、最初に氷川神社境内にある史跡の見学から始めました。その後、場所を移動し(道路挟んで反対側にある)萱瀬地区住民センター・大会議室でスクリーン、萱瀬地区で作成された”きらきらマップ”や資料などを使って郷土史講演会をしました。

 全体の内容は前年度と、ほぼ同じでした。しかし、時間の都合上、史跡の概要紹介となりました。これらのことについて、氷川神社境内の史跡見学と併せて、下記点線より下段に主な内容を書いています。

 なお、1年生の皆さんからの事前の質問集、史跡見学や講演中の質疑応答含めて沢山の質問や感想が、上野宛へ寄せられました。その中の極一部を次の「」内として紹介します。

 「氷川神社の名前の由来は?」、「本来どんな意味合いのある神社か?」、「祭りは、いつ頃から行われているのか?」、「お手水の水は、どこの水を使用しているのか?」、「相撲大会は、いつから、なぜ行われているのか?」、「市内で萱瀬地区が一番面積が広いとは知らなかった」、「(話は)分かりやすかった」など多数。

 それに対して、上野の分かっている範囲内で応えました。ただし、このような神社、石仏、史跡などは様々な説があることも確かで、断定的に考えない方がいいことも率直に話しました。最後に生徒さん代表から丁寧なお礼の言葉もありました。熱心に聞いて頂いた萱瀬中学校の先生や1年生の皆様、お疲れ様でした。今後とも、よろしくお願いします。
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氷川神社境内の史跡見学
氷川神社の概要紹介
・戦国時代〜江戸時代は尾上城(中構城、後世の峰城)だった。(峯氏の敷地でもあった)
・1870(明治3)年に萱瀬・上村の赤山大明神から氷川神社創建。後年、下村の熊野神社と岩屋観音が合祀(ごうし)された。

(1)峯弾正(みね だんじょう)の碑
 「明治33(1900)年9月吉日」建立(注:左側3基は戦死者の石塔と思われる)
・1577(天正5)年 佐賀の竜造寺軍と菅無田合戦で峯釆女(うぬめ)・弾正の兄弟、武士、村人約300人戦死。
・菅無田の合戦時の墓は、萱瀬小学校近くと、尾根上の高い所 (みかん山の上部)にある。上部の方は峯兄弟の墓である。

(2)鳥居3基
 <建立年は下記の通り>
・建立年は、一の鳥居=昭和12 (1937)年、二の鳥居=昭和13 (1938)年、三の鳥居=昭和36(1961)年
・鳥居の意味=(国語辞典の大辞泉より)神社の神域を象徴する一種の門。
(鳥居の一部の名称=笠木、島木、貫、額柄、柱など多数)

(3)峯氏からの「境内奉献」記念碑
(土地譲渡の記念碑)
・ 氷川神社の境内(敷地)は、峯氏から譲渡されたもの。

(4)萱瀬の軍馬慰霊像

・建立年月日は1991(平成3)年9月29日。
・建立者は日本郷友連盟・萱瀬郷友会で中瀬会長など14名。
・彫刻家は、竹内修氏で鋳造会社は高岡鋳芸社(富山県高岡市)。
・小ぶりながら姿形が実に素晴らしく、たくましさ、さらには今にも動き出さんばかりの迫力がある。

(5)権田の馬頭観音、六地蔵などの石仏
・建立年月日は明治25(1892)年旧11月19日。
・建立者は権田(現在、田下町の一部)の町民。
・馬頭観音とは(国語辞典の大辞林より)「六観音・八大明王の一。人身馬頭,または 宝冠に馬頭をいただき,憤怒の相をした観世音菩薩。江戸時代, 馬の守護神として民間に広く信仰された」 ・六地蔵とは、「仏語。六道のそれぞれにあって衆生の苦しみを救う6体の 地蔵菩薩(ぼさつ)」 <補足:戦国時代に流行し、たくさん造られた>

(その他)戦争関係記念碑が多数あり
・日露戦争の従軍記念碑、大戦記念碑など多数。 

講演会の主なテーマ:萱瀬の名所旧跡
(上野が思う)萱瀬の大きな特徴点
1)萱瀬は、大村8地区中で最大の面積 (萱瀬地区=42.28平方km、大村地区=20.40平方km、福重地区=14.79平方km)
)萱瀬は、大村平野(扇状地)の生みの親(多良山系の土砂を郡川が運んでつくられた大村扇状地)
3)萱瀬は、名所旧跡(史跡)の豊富な地区 (大村地区や福重地区も多いが、萱瀬は多種多様で豊富)

(スライド映写による)萱瀬の名所旧跡(注1:下記の数字01〜30は、写真スライド番号、注2:下記のリンク先ページは項目と関係している内容)
01,多良山系  02,経ヶ岳(1076m,県央地域で最高峰の山)  03,鳥甲岳と鳥甲摩利支天宮(鳥甲城址)  04,(黒木の)山神宮 鮎がえりの滝  05,岩屋観音、岩屋の馬頭観音  06,萱瀬ダム、弘法大師(ダム下側の広場付近) 

07,仏の谷、切詰城址(標高約400m) 08,萱瀬杉(森の巨人たち100選)  09,十一面観音堂、久良原の馬頭観音  10,小天狗の碑 榎茶屋河川公園 11,宝満城址(写真左側)中岳砦跡(写真右側)  12,中岳砦(中岳城) 13,(中岳砦跡の)山神、中岳の馬頭観音 14,中岳古戦場跡(墓碑) 15,(南川内の)山神、南川内分校跡 

16,南川内の馬頭観音 17,氷川神社(中構城=尾上城、峰城) 18,峰弾正の碑、権田の馬頭観音 19,矢房大明神(萱瀬中の裏山、長瀬の山中にある) 20,田下の六地蔵、キリシタン墓碑、霊魂塚  21,萱瀬の境界石 郡川の矢渕 22,菅無田古戦場跡、峯釆女(うぬめ)・弾正(だんじょう)の墓碑 23,矢房神社、菅無田の馬頭観音  

24,米山の大明神、米山の石仏 25,琴平神社、古戦場跡 26,(原町の)熊野権現、原の馬頭観音 27,郡川にある溶岩流跡(石場橋付近) 28,大村純忠史跡公園、西教寺、愛宕神社 29,久森大権現、荒瀬の馬頭観音

30,歴史(郷土史)は面白い <なぜ、歴史(郷土史)を学んでいるのでしょうか?>
1)歴史は多くの人の知恵が詰まっている  興味深くて、おもしろい(テレビの歴史番組も多い)
2)人は同じ過ちを繰り返す → 歴史を知ることにより災害などの備えにもつながる
3)郷土史を知ると地域の良さが分かる   郷土の誇りと発展へつながる

(初回掲載日:2014年10月29日、第二次掲載日: 月 日)



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