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写真・報告 その617

 2013年・大村市コミセン講座「enjoy(エンジョイ)おおむら暮らし」の玖島崎巡り(概要報告)

上記の写真は龍神島
玖島崎古墳
盗人島(ぬすっとじま)
盗人島の飛び石


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2023年・大村市コミセン講座「enjoy(エンジョイ)おおむら暮らし」の玖島崎巡り(概要報告)
日時:2023年11月11日
13:00~15:15
場所:場所:大村市コミセン第6会議室、玖島崎(注:下記の巡った名称や項目を参照)
主催:大村市・中央公民館
参加者数:9名
(講座参加者5名、子供2名、主催者1名、案内役の上野含む)

 注:このページ掲載の写真は順不同で上からの順番には何の意味もない。

<主な内容>
・自己紹介-----参加者全員で、大村の好きな所や好きな食べ物なども含めて話し合った。(その内容は省略)

・玖島崎巡り
 徒歩で市コミセンを出発し、大村ボート駐車場、市道など歩き、玖島崎まできた。次からは、今回巡った主な場所を概要のみの紹介、もしくは箇条書き風で書いている。一部分だけだが詳細内容は、下記の名称リンク先から参照願いたい。なお、リンク先は、「福重ホームページ」内と、大村市関係のホームページである。

玖島崎古墳-----10基位の古墳があったようだ。7世紀後期で古墳時代終わり頃は、県内でも珍しいと言われている。この玖島崎は、元々は島なので海と関係した人が、埋葬されているのかもしれない。

玖島崎キャンプ場(説明内容は省略)「玖島崎キャンプ場の紹介ページ

人島と飛び石
 キャンプ場から説明(「盗人島」「盗人島の飛び石」ページ) した。この盗人島と飛び石は以前(2010から2011年に新聞社2社、テレビ局3社などで報道され話題になった。その理由は、名称が珍しいことと、どちらも由来が謎で数説はあるが、本当のことが分からないからと思われる。

玖島崎(ほぼ全体の海岸)
 この島の、ほぼ全周が太古の昔から自然そのままの海岸線であり、今では珍しい。大村市内のほとんどの海岸が現在、堤防ばかりだ。しかし、一部の例えば鹿島臼島などを除き、自然そのままの海岸線は、今では本当に珍しい。海、岩場、海岸線、島などの景色も美しく、写真撮影スポットと思う。

龍神島
 この島には、一般には龍神様と呼ばれている八大龍王が祀られていると、入り口の史跡説明板に書いてある。龍神様は水や海と関係がある。江戸時代には、大村だけでなく様々所から浮立の奉納や参詣があったようだ。今も綺麗に管理されている。あと、渡って来た小さな橋は、江戸時代などにはなく、たぶん島の西側にある石垣積みの桟橋に、小舟を付けて参詣していたのかもしれない。
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 注:下記の質疑応答は、上野が覚えている範囲内で分かりやすくするために、補足やリンク先も含めて書いている。
質疑応答(Q &A)
Q1:古墳は、ここだけか?
A1:玖島崎古墳は10基位あったようだが、形が残っているのは今見ているのも含めて少ない。ここは市の文化財にもなっている。また、市内で古いのは黄金山古墳で大変珍しい造りをしていたが、戦争中に発見されたので荒らされたのが残念だ。あと、竹松の鬼の穴古墳も有名だ。

Q2:古墳の造りは?
A2:ご覧のように東西南北で西側のみが入口で開いている。その両側に細くて高さのある石が立っている。あとは「コの字形」のように石が壁のように組まれている。この造りは、肥前(佐賀、長崎)でたくさんある古墳の造りと同じで、野田古墳群も同様だった。

Q3:盗人島には降りれるのか?
A3:玖島崎古墳の近くが海岸へのゆるやかな傾斜もある。ただし、今回は玖島崎キャンプ場からの見学とする。

Q4:盗人島飛び石も、今まで知らなかったが?
A4:観光マップには書いてないが、以前(2010年頃)、私も案内、説明していたので新聞、テレビで数回報道され、当時は有名な島であった。そのことも含めて福重ホームページに詳しく掲載中である。

Q5:大村ボートは、どうしてあるのか?
A5:(次からは大村競艇史を参考にし極簡単に話した内容)戦前、大村にあった21航空廠(航空機製造工場)は、空襲に遭い廃墟になり、戦後は失業者があふれて社会不安みたいになった。そして、(戦前、事実上、大村市に強制合併させられた)松原地区と福重地区は、合併前の話と違うということで、旧の村に戻りたいとの「再分村運動」まで起こった。その原因だった市の財政不足の危機感から、市は公営ギャンブルを思いついた。しかし、既に長崎市には競馬、佐世保市には競輪があったので、新たな方法として競艇を始めた。それで、大村競艇は全国でも一番早く(1957年の開場)「競艇発祥の地」として、現在のボート入り口に立派な記念碑がある。(詳しくは「福重(松原)再分村運動の概略史ページ」を参照)

Q6:(龍神島の西側の鳥居側)この桟橋みたいな所は?
A7:先に渡って来た木の橋は、江戸時代の(大村)郷村記に書いてないし、大村藩領絵図にも描かれていないので、私は橋は昔は無かったと思う。その代わりに、この石組の桟橋に小舟を付けて島に参詣したのではないだろうか推測している。漁業や商売関係の人が多く参詣されたようだ。

 今回の講座に参加された皆様、大変お疲れ様でした。



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