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福重の名所旧跡や地形

(郡岳の)坊岩(重井田町)
(郡岳の)坊岩(こおりだけの ぼうのいわ) 場所:長崎県大村市 重井田町
 大村湾側から郡岳(826m)を見上げると8合目付近の左側に大きな岩があるのが確認できます。この岩は、古来から『坊岩(ぼうのいわ)と呼ばれてきました。

 郡岳の山頂が見える郡地区(松原、福重、竹松)なら、どこからでも見える大きな岩です。また、逆に郡岳登山時、この岩の上から見える大村平野、大村湾、西彼杵半島などの眺望は、素晴らしいものです。

 郡岳は、奈良時代初期前後は「太郎岳」と呼ばれ、この山には三尊を祀る太郎岳大権現がありました。この坊岩の名称も、この史実に由来しています。
(左写真は、坊岩)
郡岳(重井田町)
 始めに江戸時代の(大村)郷村記に、この坊岩について書かれています。それは福重村の『郡岳並坊屋鋪之事』の『坊屋鋪』の項に登場しています。坊岩の記述は、後半部分の数行ですが、それ以外も関連ありますので、この項の全文を紹介します。

 下記の 内が(大村)郷村記からの引用文です。(注:全文文章は続いていますが、分りやすくするため文章の区切りと思われる箇所に、スペース=空白を挿入しています)

  坊屋鋪
  郡岳南の方半腹に堅五間横弐拾間程の平地あり  此処往古太郎岳権現垂跡の時本坊ありし蹟にて今に此処を坊屋鋪と云 側に凡三尺五寸廻リの杉壱本あり 此処辰巳の方に汲川とて清水あり 又西の方に坊岩とて高サ弐拾間余の大岩あり 山の八合目位にあたり郡往還より能みゆるなり  (以下省略) 」

 
上記を現代風に口語訳すると次の の通りと思われます。ただし、念のため、正式なものではなく、あくまでも上野の便宜上の訳ですから間違いあるかもしれませんので、ご注意願います。

 坊屋敷(ぼうやしき) 
   郡岳南側の中腹に縦9m、横36mの平地がある。ここは大昔、太郎岳権現があった頃の本坊の跡で、現在ここを坊屋敷と言う。そばにおおよそ106cmの杉の木が1本ある。ここから南東の方角に汲川といって清水がある。また、西の方に坊岩(ぼうのいわ)と言って高さ36mあまりの大きな岩がある。山の八合目くらいにあって郡村の道路から良く見える。 

 太郎岳権現については、詳細を郡岳紹介ページに書いていますのでご覧下さい。つまり奈良時代初期の和銅年間(708〜715年)に建てられた太郎岳権現の本坊<ほんぼう=(子院に対して)本院のこと。寺で住職の住む所>が山の中腹にあり、そのことに由来して大きな岩を「坊岩」と呼んでいたと言うことでしょう。

 あと、郷村記に書かれてある太郎岳権現は、その後、多良岳に移りました。この山の名前の”多良岳”は(前の郡岳の呼び名である)「太郎岳」が「たろうだけ」〜「たらだけ」と変化して付いたと言われています。さらに大村純忠時代キリシタンの焼き討ちに合い、その後、池田に移り多羅山大権現の名前であったようですが、結局、明治時代の初期に廃社になりました。

 :郷村記引用文に(以下省略)と書いています。この省略した部分は、戦国時代の「大村純伊」逃亡記述で郡岳や坊屋鋪なども登場してきます。ただし、これらの内容は江戸時代大村藩の偽装したものと言われています。つまり、なんら関係ないと思われます。(この偽装の歴史問題は、「お殿様の偽装」ページをご覧下さい)
(掲載日:2006年11月4日)

・坊岩関係ページ:郡岳 、 太郎岳大権現



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