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福重の名所旧跡や地形

弥勒寺の妙見菩薩(弥勒寺町)
弥勒寺の妙見菩薩 場所:長崎県大村市 弥勒寺町
 この『弥勒寺の妙見菩薩』の所在地は、大村市弥勒寺町の山口さん宅(私有地)にあります。

 (大村)郷村記では、妙見菩薩と書かれていますが、地元では「妙見様」とも呼称されています。

(左写真は、弥勒寺の妙見菩薩)

 
下記に(大村)郷村記を引用しながら、私の現代語訳と補足を『紹介します。



 下記の 内が(大村)郷村記からの引用文です。(注:全文文章は続いていますが、分りやすくするため文章の区切りと思われる箇所に、スペース=空白を挿入しています)

  山口 一 妙見菩薩

仏躰石立像彩色 例祭十一月十五日妙宣寺勧請 山口寅次郎 山口甚左衛門 祭之
野石壱ツ 仏壇あり  仏殿 入   拝殿 九尺梁弐間半 瓦宇
石鳥居 壱基   古仏 三躰 切石弐ツに彫附何れも古ひ何仏とも知れず
境内入九間横拾弐間   当社は寛永七庚午年九月建立  」


 上記を現代風に口語訳すると次の の通りと思われます。ただし、念のため、正式なものではなく、あくまでも上野の便宜上の訳ですから間違いあるかもしれませんので、ご注意願います。

  山口家 妙見菩薩

仏様の体には彩色がほどこしてある。例祭は(毎年)10月15日妙宣寺に来て頂いて山口寅次郎、山口甚左衛門がとりおこなっている。  自然石が一つで、仏壇がある。(中に)入ったところに(仏像を安置する)仏堂がある。

拝殿の大きさは、奥行き2m70cm、横4.5mで瓦ぶきの屋根である。石の鳥居が一基ある。 古い仏様が三体あり切った石に2体彫られているが、いずれも古すぎて何の仏様か分からない。  境内は奥行き16m、横幅21mである。

当社は、寛永七かのえうま年(西暦1630年)の九月に建立された。 

この妙見様についての伝承
 元々は、山口さんのご先祖様がこの地に来る時に妙見様を担いでこられたようです。そして、その後、妙宣寺にもお経を納められました。(以前、妙宣寺の本堂の横には妙見宮があり鳥居もありました。(現在は裏庭に石祠があるようです)なお参考までに、妙宣寺の創建(宮小路の仙乗院)は1602年です。(現在地の)福重町移転は、1614年のことです。

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<参考文章>(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
妙見菩薩
妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は仏教における信仰対象である天部の一つ。本来、「菩薩」とはサンスクリットの「ボーディ・サットヴァ」の漢音写「菩提薩?」から来た言葉で、「悟り(真理)を求める者」の意だが、妙見菩薩は、他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から来たもので、北極星を神格化したものであることから、通常は大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部に分類されている。

古代中国の思想では、北極星(北辰とも言う)は天帝と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになった。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。

妙見菩薩信仰には星宿信仰に道教、密教、陰陽道などの要素が混交しており、像容も一定していない。 他に甲冑を着けた武将形で玄武(亀と蛇の合体した想像上の動物で北方の守り神)に乗るもの、唐服を着て笏を持った陰陽道系の像など、さまざまな形がある。

日本で重要文化財に指定されている妙見菩薩の彫像は、読売新聞社所有(よみうりランド内聖地公園保管)の1体のみである。この像は、正安3年(1301)の銘があり、もと伊勢神宮外宮の妙見堂にあったものとされる。しかし、この像は甲冑を着け、右手に剣を持ち、頭髪を美豆良(みずら)に結った特殊な像容を示し、所伝とおり妙見菩薩と呼ぶべきかどうか若干疑問の残るものである。

また、中世においては千葉氏が妙見菩薩を一族の守り神としており、同氏の氏神とされる千葉市にある千葉神社は今日でも妙見菩薩と同一と見なされている天之御中主神を祭神としている(明治維新の際の神仏分離令によって、「菩薩」を公然と祀れなくなってしまった為、また大阪府の星田妙見宮など千葉神社と同様の経緯を持つ神社も少なくはない)。また、同社は源頼朝や日蓮からも崇拝を受けており、この縁により妙見菩薩が日蓮宗の寺院に祀られることが多い。

弥勒寺の寺院跡や石造物関係ページ
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不動明王

(掲載日:2007年4月25日)


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