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寿古町から
その1
郡川河川敷にお花畑を
行政にお願いするだけではなく、地元自ら草取り花畑作りと鯉の放流も
 今回は、寿古町の河川敷お花畑を紹介します。まず、このページを書くにあたって、寿古町内会長の増元さんにお聞きしました。

 郡川(長崎県管轄の二級河川、長さは約16km)は、多良山系に源を発して大村湾に流れます。この河口付近は、寿古町と沖田町にあります。福重橋(郡橋)の下流付近から河口手前まで、ほぼ全部、川葦や竹やぶになっていました。

 地元の方にとって、昔、郡川は泳いだり、川原で遊んだりして親しみやすい川でした。なんとか、また、元のように親しみやすい川にならないかと思っていたそうです。

 何回となく行政に働きかけたところ、2002年に郡橋下流から寿古町にあるテニスコート付近まで、2003年2月には、残りの寿古町側を県が川葦や竹やぶを切ってくれました。なお、2004年には、沖田町側を切る予定だそうです。

 ただし、このまま放置していれば、また、4年か5年もしない内に元の川葦や竹やぶになってしまうところでした。しかし、寿古町の方は、町内会で話し合い「行政に要望やお願いばかりするだけではだめで、地元も行動して郡川を良くしていこう」と立ち上がりました。川葦や竹やぶにするのではなく、花畑にしていこうと決められました。

 その結果、まずは2003年4月から、老人会を中心に約千平方メートルを約30人で6回草取りを行ってきました。河川敷の畑にはジャスターデージーが、その後植えられました。

 しかし、その後も次からつぎへと草が生えるため、増元さんを中心に、草取りの連続だったそうです。また、7月から10月まで雨の少ない時期には農家からポンプを借りて、水やりも続きました。なお、郡川には色付の鯉も地元負担で放流されました。

 このような寿古町の行動は、隣の沖田町に影響し、沖田町側河川敷の川葦や竹やぶが切られたら、同じように花畑などにしていきたいとの予定です。また、長崎県の2004年の『河川改修計画』に予算反映を願っており、そのためにも、今後も地元が行動していく必要があると増元さんは述べられています。(掲載日2004年1月1日)

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