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2024年5月7日、福重小学校4年生、4つの伝統芸能の録画の視聴(概要報告)
(写真1) 福重小学校4年生の授業「4つの伝統芸能」録画を視聴中(中央奥の右と左端は先生)
(写真2) 立福寺の龍踊り 
(写真3) 寿古踊
 (写真4) 沖田踊
 (写真5) 2018年 第100回記念 福重地区敬老会での今富浮立
(写真6) 楽器の鉦(かね)、太鼓。、太刀、小太刀など(沖田踊)
(写真7) 立福寺の龍踊りの銅鑼(ドラ)
「安政6」(1859)年の年号あり (165年前)
(写真8)  今富浮立ササラ踊り用の鬼の面

福重小学校4年生、4つの伝統芸能の録画の視聴(概要報告)
日時:2024年5月7日11時50分~12時30分
主な内容:4つの伝統(郷土)芸能<4つの でんとう(きょうど) げいのう>の視聴(しちょう)と質疑応答(しつぎおうとう)
場所:福重小学校4年生の教室
参加:約70名(4年生は現在68名、先生2名。上野含む) <ご参考までに、(2024年4月10日現在で)福重小学校の全児童数は370名
 注:写真の掲載順は順不同であり、写真整理番号には特に意味はない。

<4つの伝統(郷土)芸能の録画の視聴>
 今回は、主に下記「4つの伝統芸能」録画盤(DVD)を中心におこなわれました。それは、下記の踊りでした。
4つの伝統(でんとう)郷土(きょうど)の踊り(おどり)とは
 1) 寿古踊(すこ おどり)---------寿古町
 2) 沖田踊(おきた おどり) -----沖田町
 3) 立福寺の龍踊り(りふくじ の じゃ おどり)-----立福寺町
 4)今富浮立(いまどみ ふりゅう) -----今富町

・参考までに踊られた年月日
 なお、録画視聴の時に説明はしませんでしたが、この4つの踊りが踊られた年月日は、上野調べで下記のとおりです。
 ・郡三踊り(寿古踊、沖田踊、黒丸踊)の上演年月日は、2014年6月8日花しょうぶ祭りの時で、場所は大村公園である。郡三踊り
寿古踊沖田踊・黒丸踊)が、国の重要無形民俗文化財に2014年に指定されたのを記念して上演された。 補注:現在は通常、郡三踊りは、各年ごとに大村の祭りなどで一つの踊りが上演される。しかし、この年に郡三踊りが国の重要無形民俗文化財に指定されたので、その記念として郡三踊りが一緒に上演された

 立福寺の龍踊り今富浮立の上演年月日は、2018年10月14日に開催された第100回記念 福重地区敬老会(福重小学校 体育館) に上演された。  また、今富浮立の場合は、2011年9月11日17日に実施された今富浮立の総練習の時に踊られたときのもの。


<質疑応答の補足>

 この日、最初(さいしょ)パソコンの調子(ちょうし)が、わるくモニター上で見れなかったので、その調整時間(ちょうせいじかん)を利用(りよう)して、前回の「2024年5月2日、4つの伝統芸能の講話」で、4年生から出された質問(しつもん)の宿題(しゅくだい)について上野から答えました。また、このページのレイアウト上、伝統芸能(でんとうげいのう)の録画(ろくが)を見たあとの分の質疑応答(しつぎおいとう)もふくめて下記のQ &Aに書いています。

Q1:4つの踊りの衣装(いしょう)は、なぜ、あのような色か? (例えば、今富浮立の白色や、立福寺の龍踊りで、たった一人だけ黄色(金色)なのか?)
A1:4つの踊りの衣装(いしょう)は、どれも踊りが始まった頃から大きくは変わっていないとおもう。そのため、なぜ寿古踊が緑(みどり)の和服(わふく)とか、なぜ今富浮立が白い服装(ふくそう)かなど、もう500年前とか、約100年前とかのことであり、あの色になっているかまで今となっては、分からないとおもう。また、立福寺の龍踊りの衣装(いしょう)は、元々(もともと)、中国(ちゅうごく)の服(ふく)で長崎港(ながさきこう)に伝わり、それから日本人がアレンジしてきたのであろう。

Q2:立福寺の龍踊りの先頭(せんとう)の一人だけ黄色(きいろ)の(ふく)は、なぜか?
A2:あの黄色または金色(きんいろ)は、もっている金色の玉と一体(いったい)=一緒(いっしょ)の色のイメージということのようだ。

Q3:なぜ、龍は金色(きんいろ)の玉(たま)を、おいかけるのか?
A3:あの金色の玉は太陽(たいよう)を表(あら)わしているそうだ。それを龍は、おいかけてのみこむことによって雨をふらすという。前回いったが、龍はなんの神様(かみさま)か? そして龍踊り(じゃおどり)は、なんの踊りか?  (すると4年生から「龍は水の神様だ」「雨乞い(あまごい)踊りだ」の返事があった) そのとおりだ。

Q4:龍(りゅう)の全体の重さは、いくらくらいあるのか?
A4:龍の頭(あたま)の重さは前回(ぜんかい)言ったがいくらだったかなあ? (児童から「10キロくらい」の返事あり)その通りだ。しかし、龍全体(りゅうぜんたい)を踊り保存会の方も計っていないだろうし、今のところは分からない。

Q5:金の玉の重さは、いくらあるのか?
A5:あの玉の部分(ぶぶん)は、そんなに重くはない。そうでないと、あのように、ふりまわすように踊れない。

Q6:寿古踊で、まん中にいる人は、何を意味(いみ)しているのか?
A6:寿古踊は別名(べつめい)「殿様踊り(とのさま おどり)」ともいわれている。まんなかにいる人は、殿様(とのさま)である。このビデオの踊りのとおりだ。

Q7:今富浮立の矩(カネ)は、どこの(寺など)カネか。
A7:前回も話したが、4つの踊りとも楽器(がっき)そのものは、この立福寺の龍踊りの写真に写る楽器(がっき)と同じように踊りが始められた時の全てオリジナルの楽器だ。どこかの寺(てら)とか、神社(じんじゃ)から借りたとか、あるいは同じようなものではない。

Q8:沖田踊で、なぜ、(かたな)で斬り合い(きりあい)をしないで、はなれて踊っているのか?
A8:正確(せいかく)には、今は分からない。ただし、かさなって斬り合いになるより、踊りを大きく見せるため、はなれて斬り合いの恰好(かっこう)をしているのではないだろうか。 (先生から「お祝いの踊りだから斬り合いをしていないのでは」との意見もあった)
あと、沖田踊は別名(べつめい)「ナギナタ踊り」とも言われているので、このナギナタのことは覚(おぼ)えてほしい。木の長い棒(ぼう)の先に、するどい刃物(はもの)がついているものがナギナタである。

Q9:沖田踊には、なぜ刀(かたな)と、ナギナタの2種類(しゅるい)で踊るのか?
A9:沖田踊には、ナギナタ、大太刀(おおだち)、小太刀(こだち)と3種類ある。なぜ、このような踊りなのか、最初(さいしょ)から、そのような踊りだったと、おもわれる。〈前回の「4つの伝統芸能の講話」でも話したが、郡三踊り三つで一つの踊りである。そのため、1番目の寿古踊が、ゆっくりと優雅(ゆうが)に始まり、2番目の沖田踊で大きくかわり、そして3番目の黒丸踊りが派手(はで)になって、まとめる形で、おわる踊り方である) 〈注:先の「郡三踊りは三つで一つの踊り」の「」(じょ・は・きゅう)の用語は、児童には難しいため話していないが、下段点線内=青文字の用語解説を参照願いたい〉

Q10:踊りの服は、同じ物か、新しくなるのか?
A10:衣装(いしょう)そのもの形(かたち)は、変わっていない。しかし、踊ったあとにクリーニングに出して、それをくりかえすと古くなり、いたんでもくる。そのため新調(しんちょう)、リニューアルされ新しい衣裳になる。昨年(さくねん)の寿古踊の衣裳は新調されていたので新しくキレイだった。
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--------<踊りの「」(じょ・は・きゅう)の用語解説>--------
 (補注:文章を書く場合、「起・承・転・結」がある。これと似たような用語で雅楽(ががく)や古くからある踊りでも「」(じょ・は・きゅう)との用語がある。デジタル大辞泉より、「」の解説=「1 雅楽で、楽曲を構成する三つの楽章。初部の「序」は緩徐で拍子に合わず、中間部の「破」は緩徐で拍子に合い、終部の「急」は急速で拍子に合う。」
(以降省略)
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4年生からお礼
 最後(さいご)に、今回も4年生全員から元気な声で、お礼がありました。
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関係ページ
寿古踊(すこ おどり) 、・ 沖田踊(おきた おどり)  、・立福寺の龍踊り(りふくじ の じゃ おどり) 、・今富浮立(いまどみ ふりゅう)  

2020年、大村秋祭りの寿古踊 、2021年、大村秋祭りの沖田踊 、、・2018年 第100回記念 福重地区敬老会での立福寺の龍踊り 、・2011年 第93回福重地区敬老会での今富浮立 、・2011年9月11日17日、今富浮立の総練習



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