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福重の写真集 その202

2012年 臼島の南側にある亀瀬の調査(概要報告)

日時:2012年7月21日13時00分〜15時30分、場所:亀瀬(臼島から南東側へ約150mの海中にある)
参加者数:全体で10名
(内、長崎大学水産学部・海洋研究会の皆様6名)主催:安田産業汽船

臼島(左側の小さな島は弁天島。さらに南東側、百数十mの所に亀瀬はある)

臼島(写真上側が北方向で右方向大村市街地、下側部分が弁天島。亀瀬はこの写真に写っていない。写真下側中央より」さらに下側方向である)(グーグルアース写真より)
長崎大学水産学部の海洋研究会の皆様(帰りの船上にて)

・亀瀬(かめせ、かめのせ)について
 調査内容より先に亀瀬の紹介を書きます。大村市役所の北西方向にショッピングセンター(ジャスコなど)があります。ここから(西側)約650m先、大村湾に浮かぶ臼島(うすしま、大村市杭出津1丁目)があります。

 さらに、その臼島の南側に弁天島があります。この弁天島は右上側写真では、左側に小さく細長く見える島です。(島内に弁財天=弁天様が祀ってあるので、この島名称になったものと思われる)この弁天島より、さらに南東側に今回調査した亀瀬はあります。

 この亀瀬は、残念ながら通常は海中にあるため見えません。安田産業汽船さんのお話しによると、「大潮の干潮時などには船上からもハッキリと確認できる。瀬の頭部に人が立つことも出来る」とのことでした。このように、干潮時に瀬の頭部が海面上に現れ、誰でも見ることができるようです。

 江戸時代に大村藩が編纂した(大村)郷村記には、次の「」内が書いてあります。「一 亀瀬  臼嶋辮天の鼻より南の方七拾間程の所にあり、底瀬にして長貳拾間、横拾間程あり、大潮干の時は瀬頭少し出るなり」

 上記、(大村)郷村記内容を現代語訳すると次の<>内の通りです。<亀瀬(かめせ)  (この瀬は)臼島と弁天島の岬より南の方に約127mの所にある。低い瀬で長さが約360m、横幅が約18mほどである。大干潮の時間帯には瀬の頭部(岩)が少し出ている。>

 以上の(大村)郷村記の内容でも分かる通り、江戸時代あるいはそれ以前からも、充分に知られていた瀬であることが分かります。なお、この瀬の大きさや方角について、方角はあっているようですが、大きさについては少し違っているようです。

長崎大学水産学部の海洋研究会による海中調査について
 今回、昼食後12時20分頃から事前の打ち合わせを充分おこない安田産業汽船さんの「みずすまし号」の船で亀瀬に向かいました。
あいにく雨の後で海中は濁っていて、海中にある亀瀬を探すのにやや時間を要しましたが、早速、6名全員で潜って頂きました。

 瀬の頭部を中心に東西南北と各担当班を設けて1時間30分位の調査が続きました。そして、亀瀬全体の形、海面より約8m下にある海底の状況、瀬を形成している岩の形状、人工物があるかどうか、貝殻や土の状況の確認や水中写真撮影などをおこないました。

 水中の濁りは、海水面から見る以上に悪く、また、藻が繁っているため、この日は見えにくかったようです。それでも、終了ミーティング(反省会)時に見せて頂いた写真の中には、一部分ではあるものの四角形、三角に尖った形の石なども視認できました。

 以前から、この亀瀬について、例えば「人工的な物があるのではないか?」、「石が、どこからか運ばれて来たものではないか?」とか様々な説があります。今回の調査は、海中の濁りと言う悪条件がありましたが、次の調査につながるのではないかとも思われました。

<私の感想>
 まず、長崎大学水産学部・海洋研究会の皆様の非常に熱心な調査に驚きました。船上や終了ミーティングなどで各自より報告された内容は、私の全然知らないことばかりで勉強になりました。皆様、大変お疲れ様でした。

 亀瀬自体、自然そのままの瀬なのか、あるいはそこに何か人工物があるものなのか、まだ何とも言えませんが、次回晴れた、もっと海中が澄んだ状態で調査される機会があれば、より一層分かりやすくなくなるのではと期待もしています。

 最後になりましたが、船による送り迎え、案内など熱心にしていただいた安田産業汽船の皆様、お世話になり、大変ありがとうございました。皆様方の社業、ますますのご発展を祈念しています。

(概要報告は、以上)



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