福重の写真集 その721 |
2025年9月18日 大村市立鈴田小学校・総合学習「白鳥城跡と伊勢山城跡」(講話の概要報告) |
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鈴田小学校6年生の教室で講話中、奥側は上野、手前が6年生 (2025年9月18日) | ||||||||
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大村市立鈴田小学校・総合学習「白鳥城跡、伊勢山城跡」(講話の概要報告)
<鈴田の城跡8カ所の内、今回は2つのみ紹介)> 2年前には、鈴田地区の城・砦・館の8カ所全部を紹介した。しかし、今回は、時間の関係で、その内の2カ所のみを紹介したい。(くわしくはDVDや資料を参照) (1) )白鳥城跡(しらとりじょうあと) -----岩松町、白鳥川から60m離れた丘(おか)にあった。鈴田小学校に近い。ただし、今は白鳥住宅団地や高速道路下で城跡らしきものは、何も残っていない、 白鳥城跡の大きさ:(昔の記録より)城の周囲(しゅうい)は約764メートルあった。広さは1091平方メートルあった。 堀切(ほりきり)=大きい溝(みぞ)のこと:長さ5.5メートル、深さ3.6メートルだった。 この堀切(ほりきり)の役目(やくめ)は、敵(てき)の進入(しんにゅう)を防ぐ(ふせ)ものだった。市内の城跡(しろあと)で3本もの堀切(ほりきり)があったのは珍(めず)しいといわれている。 (史跡説明板「白鳥城跡」を参照) (2) 伊勢山城跡(いせやまじょうあと) -----中里町、城の遺構(いこう)として土塁(どるい)、切岸(きりぎし)、曲輪(くるわ)などがある。.(伊勢山城跡ページ、DVDや資料などを参照) <鈴田の城の特徴(とくちょう)> (1) 大村には松原、福重、竹松、萱瀬、西大村、鈴田、三浦の8地区がある。その中で鈴田地区の城の数(かず)が、一番(いちばん)多かった。 (2) なぜか? 戦国時代(せんごくじだい)、大村と仲の悪かった諫早勢(いさはやぜい)との距離(きょり)が近く、攻めてくる時に、鈴田は大村を守る役目(やくめ)があった。(2番目に多いのが萱瀬地区、3番目が福重地区だった) 3) .(DVDや資料などを参照) 鈴田の城は、ほぼ戦国時代(せんごく じだい)のものだ。皆さんがイメージしているような櫓(やぐら)や石垣(いしがき)などはなく、自然(しぜん)の山に上手(じょうず)に土をもったり、崖(がけ)を切ったりして守りを、かためていた。石垣などができたのは、平和になってからが多い。 4) 平和な江戸時代(えどじだい)になると、ほとんどの城が使われなくなった。<補足:これを廃城(はいじょう)という> <上野の感想など> 今回は、この授業の後で行く「鬼の石」見学がメインでした。しかし、鈴田の城跡について、6年生は、事前にDVDを見たり、今回の城跡クイズにも積極的に挑戦してくれました。中には、正解者もあって嬉しかったです。また、お会いしましょう。 注:「鬼の石」見学(校外学習)報告は、別途ページに掲載予定。 ----------・・・----------・・・-------- ・鈴田小学校での地域学習の講話関係ページ:(注:下記講話内容は全部、上野が担当した史跡や地形などの説明のみ」) |
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(初回掲載日:2025年9月19日、第二次掲載日: 月 日、第三次掲載日: 月 日) |