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福重の名所旧跡や地形

黄金山古墳(こがねやまこふん)(今富町)
黄金山古墳 場所:長崎県大村市 今富町
黄金山古墳 この周囲が墳丘だった
 出土した土器の一部で、「高杯  大村の主な古墳
概要紹介
 この黄金山古墳の年代は、古墳時代前期と思われ、一説には4世紀末か5世紀頃のものと言われています。棺(ひつぎ)を安置する石室(せきしつ)は、追葬(ついそう)を可能にする形式で竪穴系横口式石室と呼ばれるものでした。また、石室内部(四方)の壁石は、扁平板石(注:鉄平石みたいな平らな石)を平積みして、朱で真っ赤に塗られていました。このような古墳様式は、長崎県内では大変珍しいものでした。

中央部の木々の下部:黄金山古墳
(木の周囲が墳丘と推測される。2018年6月25日、北北東側から撮影)
 そのようなことから、一説には、「たぶんに地元の豪族と言うより大和王権(大和政権)から来た人ではないか」とも言われています。ご参考までに、大村市野田町にあった7世紀頃の「野田古墳(のだこふん)」、大村市小路口本町の「鬼の穴古墳(おにのあなこふん)」や、東彼杵町の「ひさご塚古墳」などは、長崎県内で多く見られる古墳造りと言われています。

 この古墳は、第二次大戦時代、海軍の工事中に発見されましたが、戦後しばらくしてからの別工事もあったので、現在は、石室や墳丘(ふんきゅう)も何も残っていません。(注:石室四方の壁に使われていた平たい石は、周辺に数多く現存している) 

 ただし、戦時中の古墳発見当時、福重の多くの方が見ておられ、一例として「石室は朱で真っ赤に塗られていた」、「2体の人骨があった」、「刀など珍しい鉄製品や土器も多数出土した」との伝承が残っています。なお、土器などの極一部は、大村市立史料館(2018年現在、新館工事中)に所蔵されています。

「大村市の文化財」(本)の紹介

 この項目は、「大村市の文化財」(初版、大村市教育委員会、1990年3月31日発行)の187ページより引用して、ご紹介します。<注:念のため、「大村市の文化財」は、先の初版本の発行以降、2回目(2004年3月26日)、3回目(2012年3月16日)と発行されていますが、内容・写真とも、ほぼ同じです。閲覧者の方へ、引用参照される場合、必ず原本からお願いします>

黄金山古墳
(左側の白い柱:案内標柱。2007年4月21日、南側から撮影)
黄金山古墳
 郡川下流域の水田地帯を一望に見下ろす今富の丘の小高い位置に、直径約15m、高さ約2.5mのこんもりした塚があります。これが黄金山古墳です。 昭和15年頃、旧日本海軍が工事のため古墳の中央を掘り割ったところ、石室が露出し、その中から人骨や鉄剣・土師器( はじき)が出土しました。石室の中は、朱で真っ赤に塗られていました。

 工事はすぐに中止され、驚いた村人達の手によって、古墳のすぐ側に祠(ほこら)が建てられ、人骨や遺物がその中に祭られました。 昭和39年、九州大学考古学研究室の小田富士雄氏などによって、石室内部や出土遺物の調査が行われました。その結果、石室の主体部は組み合わせ式箱式石棺で、その上に板石を平積みし、横口を設ける形式で、他にほとんど例を見ない構造であることが判明しました。

 広義の「石棺系横口式石室」の系譜に属するもので、今では初期横穴式石室の貴重な一例として知られています。 出土した遺物の年代から、古墳は5世紀の初めから中頃に造られ、葬られた人物は、その規模から、この地域で相当の勢力を誇っていた部族の長と考えら れます。

 この型式の石室は長崎県内では知られておらず、どの様なルートで入ってきたのか注目されているところです。遺物は、鉄剣・壺(つぼ)・甕(かめ)・高杯(たかつき)・人骨 などがあり、その一部が大村市立史料館に保管されています。

1964(昭和39)年の黄金山古墳の石室写真
 この項目で紹介しています写真は、約10年前に大村市教育委員会より借り受け、スキャナー複写してデジタル画像にしたものです。元の写真の入っていた茶封筒には、「大村市 黄金山古墳 石室調査 (小田フィルム 1964年 No.46) 」と書いてありました。

 ここからは、あくまでも上野の推測ながら、この茶封筒に書いてある文字の意味は、前の項目「大村市の文化財」(本)の記述内容を参照すれば、これは「1946(昭和39)年、九州大学考古学研究室の小田富士雄氏などによって、黄金山古墳の石室内部や出土遺物の調査が行われ時に、撮影された写真」と解釈できます。つまり、石室調査後、九州大学から大村市教育委員会へ、提供された写真でしょう。

 念のため、先の茶封筒に入っていた写真は、合計5枚で、いずれも白黒写真です。ただし、下記写真の通り、ほぼ同一方向から写された写真もあります。写真番号は、上野が整理上付けたものながら、下記( )内通りです。なお、上野の推測ながら、後で写真説明文を書く予定です。
(黄金山古墳の石室写真その1)
 
(黄金山古墳の石室写真その2)
(黄金山古墳の石室写真その3) (黄金山古墳の石室写真その4)
(黄金山古墳の石室写真その5)

写真の補足説明文


 (この写真と原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)



補足


   (原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)



(初回掲載日:2018年6月26日、第二次掲載日:6月30日、第三次掲載日:7月3日、第四次掲載日: 月  日)


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