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福重の名所旧跡や地形

皆同村の村境石(皆同町)
皆同村の村境石(むらざかいいし) 場所:長崎県大村市 皆同町
 まず、名称から、この『皆同村の村境石(かいどうむら の むらざかい いし)』は、正確にいえば「皆同村と福重村との村境石」です。元々、福重には、今富村・皆同村・福重村3村がありました。江戸時代、大村藩がおこなった「行政改革」によって3村が合併して福重村になりました。

 つまり、合併前の皆同村福重村村境石だったということです。長年、JR大村線・皆同ガード下の西側10数メートルの位置にありました。現在は、先のガードを挟んで反対側の植栽の中にあります。。
(写真1:現在地、植栽の中にある3個の石が村境石)
村境石の場所
 まず、この村境石現在地と、元あった(本来の)場所を下記(グーグルアースよりの)写真で説明します。下記の横長(写真2)のAが現在、村境石が置かれている場所です。Bは、元あった場所の周辺です。
(写真2) 村境石が現在ある所。 B元あった周辺(道路拡幅工事で移設されたという)
 右側下記の(図1)の(江戸時代に作図された)大村藩領絵図には、まだ、福重村皆同村、(切り抜きのため下図にはないが右側方向に)今富村の文字も描かれています。つまり、この大村藩領絵図を見ても、先に紹介した3村があったことが良く分かります。
(図1) 大村藩領絵図、「皆同村」は中央上部、「福重村」は左側。(右下(側の紺色は郡川、斜め黒色線は長崎街道、上部の薄い紺色線は石走川)

 福重地区の皆同町や寿古町で伝わってきた皆同村福重村村境石についての内容は、次の「」内通りです。

 「福重村と皆同村の村境石が元あった場所は、JR大村線の皆同町ガードより西側の三差路周辺(写真2のB周辺)にあった。市道の工事で邪魔になったので、ガードの反対側(東側、写真2のA地点)へ移設した」  「その場所は現在、福重商工振興会設置の大きな案内板の前にある石の数個だ」

・地元で大事にされた村境石
 先と重複しますが、上記「」内の伝承通り、この村境石元あった(本来の)場所は、(写真2)のB周辺だったのです。そして、道路拡張工事の時に現在地に移設されたということです。

 ここからは、上野の推測です。重たくて邪魔になる石を重機などで壊さずに、何故わざわざ現座地まで移設したのでしょうか。それは、やはり、長年、村境石として地元で大事にしてきた、誰でも知っているような象徴的な石だったからでしょう。

・村境石は目印(道標)の役割もあったのでは

 あと、ご参考までに、上記の(図1)の大村藩領絵図を見ても、この周辺の道路は当時より現在は当然、大幅に拡張されています。しかし、道路そのもの位置は、昔も今も変わっていないことが良く分かります。つまり、大昔は幅が狭かったが、同じ道を江戸時代、近代、現代と徐々に拡張されてきたということです。その道路脇にあった村境石は、現在地に移されるまで置かれて、昔は一つの目印(道標)にもなっていたのでしょう。



 (この後半原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)



(初回掲載日:2019年8月6日、第二次掲載日:8月13日、第三次掲載日:  月  日)


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