最新情報 行事 福重紹介 仏の里 福小 あゆみ 名所旧跡 写真集 各町から 伝統芸能 産業 リンク

福重の名所旧跡や地形

沖田の祇園牛頭天王(沖田町)
祇園牛頭天王(ぎおんごずてんのう) 場所:長崎県大村市 沖田町
 この『沖田の牛頭天王(おきたのぎおんごずてんのう)』の所在地は、大村市沖田町の金屋にあります。現在の郡川及び福重橋(通称:郡橋)の近くにあります。

 下記に(大村)郷村記を引用しながら、私の現代語訳と補足を紹介します。ただ、時代がかなり経った関係か、この大村郷村記に記述されている内容と現在の状況は、少し違っています。
 

(左写真は、沖田の牛頭天王)



 牛頭天王とは、国語辞典の大辞林によると、< もと、インドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神。悪疫を防ぐ神として、日本では京都祇園の八坂神社などに祭られる。 >と、書いてあります。また、全国の仏像例では、その名のとおり仏様の頭の上に牛頭が乗っておられます。

  沖田の牛頭天王について、まず(大村)郷村記からの引用致します。下記の 内が、その文章です。(注:文章は続いていますが、分りやすくするため文章の区切りと思われる箇所に、スペース=空白を挿入しています)

  金屋馬場 祇園牛頭天王
 神体 木座像彩色例祭六月十五日妙宣寺勧請 岩永鎮右衛門一手祭
 石祠
 拝殿二間梁二間半萱宇
 石鳥居 一基
 境内 十八間二三十四間程内三畝八歩半畠なり
 当社は慶安元年四月朔日建立、宝暦十年三月再建、享和二年猶再建   

 上記を現代風に口語訳すると次の の通りと思われます。ただし、念のため、正式なものではなく、あくまでも上野の便宜上の素人訳ですから間違いあるかもしれませんので、ご注意願います。

   金屋の馬場に祇園牛頭天王(ぎおんごずてんのう)が祭られている。ご神体は木の座像で、彩色されている。例祭は六月十五日で、祭りは妙宣寺が執りおこなっている。この神社は岩永鎮右衛門が一人で祭っている。

 石祠がある。拝殿、石鳥居があるが、拝殿は二間に二間半の広さ(10畳)で、萱葺きである。境内は約600坪の広さで、その内の3畝8歩半が畑になっている。 この祇園宮は慶安元年(1648年)に建てられたが、宝暦10年(760年)に建て直され、更に享和2年(1802年)に建:て直された。   

 念のため、上記の大村郷村記に書かれている内容と現在の状況は、違っています。あと、なぜこの地に祇園牛頭天王がおられるのか確かな伝承はないようですが、昔、牛は農業に欠かせない動物でしたので、牛の神様や悪疫を防ぐ神として祭った可能性が考えられます。また、牛と馬の違いはありますが、地名の「金屋の馬場」と言う所も気になるところです。

鳥居について
 大村郷村記や、このページの上写真に見られるように本来の鳥居は石製で、現在は折れている状況です。そのかわりに写真で見られるように現在、鉄製の鳥居がたっています。この折れた石の鳥居について、「兵隊が馬を止めるため手綱(たづな)を鳥居にまわしていたところ、何かの拍子で馬が驚いて暴れて鳥居を倒してしまった」などの説も地元では伝わっています。

 しかし、この「馬が暴れて壊した説」よりも1870(明治3)年に権現様や祇園様は、神仏混合であるとして明治政府より禁止令が出されたため、壊さなければならなかったものと思われます。これと同じように寿古町の竈権現(かまどごんげん)、弥勒寺町の熊野権現(くまのごんげん)、立福寺町の六社権現(ろくしゃごんげん)などの鳥居も、この時期に壊されていますので後者の説の方が有力と思われます。

(掲載日:2007年10月11日)


最新情報 行事 福重紹介 仏の里 福小 あゆみ 名所旧跡 写真集 各町から 伝統芸能 産業 リンク