最新情報 行事 福重紹介 仏の里 福小 あゆみ 名所旧跡 写真集 各町から 伝統芸能 産業 リンク
写真・報告 その706
2025年 寿古町・常磐会(ときわかい、老人会)のツツジ剪定作業と郷土史講話 (概要報告)
 寿古常磐会(老人会) 郡川右岸の堤防にあるツツジの剪定作業終了後の記念写真 (撮影者の左側方向が郡川本城渕)
ツツジの剪定作業と、市道脇の除草作業
郷土史講話「寿古町と福重小学校について」 左側は上野が講話中、右側は寿古常磐会の方々

2025年、寿古町・常磐会(ときわかい、老人会)のツツジ剪定作業と郷土史講話 (概要報告)
作業終了後、左端側:左東会長の挨拶(左方向は郡川本城渕)
郡川の土手入口の除草作業
 ツツジの剪定作業中
 
 草取り中(中央部は「竈権現の地蔵」)
枝の切り取り中
剪定作業中
 剪定作業中(後方は寿古町公民館)
  剪定作業中(後方中央部は竈権現、右側は寿古公園)
 剪定作業中

日時:2025年6月1日07時45分~09時20分
参加:20人(プラス上野)
場所:
大村市寿古町、郡川(右岸側)の堤防(土手)周辺
主催:寿古町・常盤会(ときわかい、老人会)
趣旨:郡川の土手にあるツツジの剪定と除草作業
 注:掲載写真は順不同で、上からの順番に意味は全くない。

<概要>
   寿古常磐会(老人会()の皆様は、数十年前から毎年、寿古公園前周辺にある郡川の右岸土手(堤防)の傾斜部分に植栽されているツツジ数十本の剪定や周辺の草取りをされています。おかげで、毎年春には、綺麗なツツジの花が咲きます。花が咲いている時季は、地域住民だけでなく、この近くにある市道を車で走行時、あるいは郡川沿いを散歩する方々の目を楽しませてくれます。

 ツツジは、花が咲き終わったら枝や葉っぱが、広がっていきます。そのため周囲の美しさを保ち、さらには来年春に向けて木全体を丸びを帯びたように整え、また花が綺麗に咲くよう剪定(せんてい)作業がおこなわれてます。

  この日、作業開始時刻の気温は、20度近くあり、少し経つと20度を超えていました。2寿古常盤会(老人会)の皆さんは、トリーマーで剪定する人、電気コードを持つ人、ノコギリで枝を切る人、剪定ハサミや鎌(かま)で枝や葉っぱを切る人、切られた葉っぱなどを片付ける人、土手(傾斜)部分の草取り、掃除する人と任務分担して、どなたも慣れた手つきで、サッサと進みました。

 先の作業が一通り終わった後、遠くから見ても土手の大きなツツジの葉は、丸い形に整えられてスッキリしていました。また、来年春に大きなツツジの花が沢山咲くことが、今から楽しみともなりました。

 先ほどの作業終了後、常盤会左東会長の挨拶、そして、上野(福重郷土史同好会)から、約15分間、寿古町と福重小学校の歴史話をしました。その講話の具体的内容として、次のリンク先「福重小学校の歴史」ページを参照願います。下記の点線内話をしました。
----------・・・----------・・・----------
郷土史講話「寿古町と福重小学校について
 寿古町老人会の皆様、毎年、この郡川堤防のツツジ剪定や草取り作業をして頂き、お疲れ様です。私は、長崎県や大村市を代表する者ではありませんが、皆様に敬意と感謝申し上げます。皆様のおかげで、来年も綺麗なツツジが見れることでしょう。

 今年で5回連続呼んで頂き、大変ありがとうございます。今日の郷土史講話のテーマは、今年春に福重小学校の新古校舎ができたことと、「福重小学校 新校舎完成記念誌」を作成、発行した関係で、「寿古町と福重小学校について」をお話しします。

福重小学校は寿古が発祥の地
 福重小学校は、1872(明治5)年8月に当時の福重村寿古郷(字)「株田=歌舞田)」にあった福重村役場の敷地内に開校=創立しました。現在の前川さん宅です。現在、「福重小学校・本校跡の記念碑」が建っていますが、その後方の石垣の内側です。当時の写真も見取り図も何も残っていないので、上野の推測ながら、その場所は、前川さんの本宅の西側と思われます。現在の民家よりも小さな校舎と想像され、村役場と校舎の前には広場もあり、子ども達は運動、相撲あるいは遊んだりしたことでしょう。

大村市内でも長崎県内でも福重小学校は最古の小学校
 この1872(明治5)年8月開校の福重小学校は、福重村•松原村共同で大村市内にできた最初の公立の小学校です。また、私が3年前に発行した「福重小学校・創立150周年記念誌」の作成時に、色々と明治時代の史料を調べました。その結果、長崎県内でも福重小学校は最古の小学校と思われます。

 それは、何故か? 実は、明治維新政府が明治4年頃に最初、口頭で「学校を造れ!」と号令をかけました。しかし、京都府や東京府の小学校が数校開校しただけでした。それならば「法律をもって造らせるぞ」とばかりに、文部省は国民皆学の太政官令(日本初の教育基本法)が、1872(明治5)年8月2日に全国へ公布されました。

 つまり、その後に開校した学校が、近代教育上の小学校と呼ばれているので、福重小学校は長崎県内でも最初(最古)の小学校ということです。あと、大村市内では鈴田小学校が明治6年1月、竹松小学校が同年3月、玖島小学校(現在の大村小学校)が同年7月の開校です。(詳細は「大村市立小学校創立年の一覧」ページを参照)

開校当時の児童数は8名、1年後に48名となり松原は独立
 開校当時、松原村と共同で児童数は、8名でした。1年後、児童数が48名となり、松原が独立して現在地に松原小学校が開校しました。

1891明治24)9月、郡川の氾濫で学校が流失
 開校後は順調だったと思われますが、台風被害か1891(明治24)9月、郡川が氾濫して、濁流が福重村役場や福重小学校に押し寄せて、建物が流失してしまいました。そのため、開校当時から約20年近くの貴重な史料類も流されてしまいました。

1893明治26)9月、皆同郷(町)「城の前」に移転
 先の水害後、寿古で授業ができないため、約2年間、今富郷(町)の民家を借りて授業が続けられました。そして、年後の1893明治26)9月、皆同郷(町)「城の前」に正式に移転しました。その後、この地で約70年間続きました。

 しかし、1945(昭和45)年春に(海軍の)福重飛行場の工事が進み、事実上の強制引っ越しで当時の矢上郷(現在の福重町)に学校が移転しました。この頃や、それ以降は私より皆様が良くご存知なので、これ以上の話は、省略します。

新旧校舎記念誌のご購入のお願い
 今年3月15日に「福重小学校 新校舎完成記念誌」を発行しました。また、旧3校舎の解体、撤去工事が4月に始まりました。その関係上、二度と写せない旧校舎、皆同時代の古い校舎含めて、この冊子には載せています。福重小学校と、PTAが発行費用を負担しています。その多くがPTA費用ですので、PTAへの寄付ということで、この冊子のご購入をお願いしまします。(補足:この後、寿古町老人会の皆様は、28冊も注文がありました。大変ありがとうございました)

 最後なりましたが、今回の講話を聞いて頂き、大変ありがとうございました。また、お疲れ様でした。
----------・・・----------・・・----------
・関係ページ (福重ホームページ)の「2021年、寿古常磐会のツツジ剪定作業と郷土史講話(報告)」  「2022年、寿古常磐会のツツジ剪定作業と郷土史講話(報告)」  「2023年、寿古常磐会のツツジ剪定作業と郷土史講話(報告)」  「2024年、寿古常磐会のツツジ剪定作業と郷土史講話(報告)」 「2025年、寿古常磐会のツツジ剪定作業と郷土史講話(報告)

切った枝をさらに短く切る 剪定した枝や雑草を軽トラックに積み込む
剪定した枝などをを軽トラックに積み込む


最新情報 行事 福重紹介 仏の里 福小 あゆみ 名所旧跡 写真集 各町から 伝統芸能 産業 リンク