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福重の写真集 その567
2022年 大村シルバー人材センター会員互助会、福重の史跡巡り(概要報告)
(写真4) 今富町、大神宮の境内にて記念写真
(写真4) 今富町、中央部の白板=「十二社権現跡と帯取殉教地跡」の史跡説明板周辺で見学中
(写真3) 大村シルバー人材センターのノボリ(シュシュ駐車場入口) (写真4) 開会式(弥勒寺町、シュシュ駐車場にて)


(写真5) 弥勒寺町、線刻不動明王像前にて(右端で上野が説明中)  (写真6) 急な坂を登る途中 (奥は弥勒寺町、手前は今富町) 


 (写真7) 皆同町福重飛行場跡 (中央奥側で上野が説明中)  (写真8) 昼食後、アンケート記入中(シュシュのレストランにて)
弥勒寺町,、上八龍の線刻石仏,
弥勒寺町、線刻不動明王像
今富町、左側は大神宮、右側は石割樫
福重飛行場跡 (写真上部が今富町、下部が皆同町) 
奥の小高い丘は今富城跡 
福重町の舟つなぎ石
深重山・妙宣寺(じんじゅうざん・みょうせんじ) (福重町)

大村シルバー人材センター会員互助会、福重の史跡巡り(概要報告)
日時:2022年10月23日09時00分〜11時40分(昼食時間の終了は12時40f分)
参加:55名
(大村シルバー人材センター会員互助会の方プ あとケーブレテレビ1名と上野)
案内と説明:上野、資料:福重ガイドマップ
 注1:この日、参加数が多かったため当初の予定を変更して、主に弥勒寺町今富町・皆同町福重町などを約2時間かけてウォーキングした。

  注2:下記のリンク先の史跡名は、実際に見学した所だけでなく、ウォーキングした周囲にある史跡も含めている。太文字のリンク先は上野が説明した史跡である。(なお、ご参考までに2020年7月6日「大村水害」で福重地区の被害場所の説明もした)

 注3:今回の史跡巡りの順番として、弥勒寺町、今富町、皆同町、福重町と回った。しかし、下記リンク先は、その順番通りばかりではなく、整理上、各町内別とした。(詳細は、各史跡名のリンク先をクリックして参照)

 注4:今回(写真5、7)は西村氏の提供写真で、他は上野が撮影。


主な案内場所:
<弥勒寺町>
 ・線刻不動明王像 、・弥勒寺の馬頭観音、・弥勒寺の陽林 、・三体仏 、・上八龍の線刻石仏、・弥勒寺跡、 ・弥勒寺の熊野権現 など

<今富町>
 ・福重砲台跡 、・大神宮 、・(福重村の)招魂碑 、・亀石 、・石割樫 、・福重飛行場跡 、・本当の帯取殉教地跡(十二社権現跡)の場所

<皆同町>
 ・今富城跡皆同砲台跡、・福重飛行場跡と福重小学校跡

<福重町>
 ・福重町の舟つなぎ石 (この場所から、「今富城跡」、なども遠方を見ながら説明した) ・妙宣寺
なお、「ふくしげ竹灯籠まつり」の会場も、この「舟つなぎ石」周辺の会場である。
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<質疑応答>

 案内人の上野へ各史跡の説明後、次に行く歩道上や昼食中含めて参加者から質問がありました。その特徴的なものは、次のQ &Aです。なお、趣旨を変えない範囲内で補足も含めて書いてlいます。下記内容は、順不同です。
Q1:これらの石仏の年代と数は、どのくらいか?
A1:福重や松原の石仏は平安時代後期のものもあり、古い石仏(大村純忠時代、キリシタンが壊す前)は、合計で約30体ある。(仏の里 福重」ページ参照)

Q2:極楽寺は、どこにあったのか?
A2:竹松地区、宮小路で、昔の九州電力の社宅周辺(現在の「ろう学校」周辺)に、かつて極楽寺跡を示す史跡説明板が立っていた。(極楽寺跡の地図は、「唐泉寺跡」ページ掲載の地図を参照)

Q3:(帯取殉教地の記念碑のある場所は間違い場所」と説明されたが)何故そのままにしているのか?
A3:この場所間違いの原因は、地元(今富町)に確認しなかったことや、一次資料(大村藩領絵図など)を見ていないことが要因だ。さらに(私達が約15年前から指摘して)間違いと分かっても大村市教育委員会が正さないからだ。そのため福重地区は、より正しい場所に「十二社権現跡と帯取殉教跡」の史跡説明板を立てている。

Q4:いつ頃から郷土史に興味を持ったのか?
A4:20年前頃で福重には古い石仏が沢山あることを知り調べ始めた。

<参加者の感想>
 今回の史跡巡り主催者の方から参加者アンケートの回答を頂きました。その内容は、下記の点線内です。
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 (前略) )回答者52人中、「巡った史跡は良かったですか」の質問では、◎(二重丸)が39(75%)、〇(丸)が13(25%)△(三角)と×(バツ)は0でした。それを裏づける感想が下記です。
 ・初参加でしたが、福重の歴史を知ることができました。 ・知らない史跡ばかりで知識が増えました、 ・興味ある探訪で楽しかったです。 ・次は、いつですか。 ・未知の福重を知ることができとても刺激になりました。

 ・新たな発見箇所があり、勉強になりました。 ・テレビでは上野さんの説明を聞いていたので初めて、お会いでて嬉しかったし勉強になりました。 ・市内の史跡への認識を新たにしました。 ・フルーツの里だけではなく歴史的に史跡があることを知ることができ、上野さんの説明もよかったです。 ・福重地区の歴史いろいろと勉強になりました。もっと探訪したいと思います。

 ・身近でありながら知らないことがほとんどでした。本当にいい機会をありがとうございました。 ・いせきはしらないところにありました。いいうんどうになりました(4年生)  ・いろいろな歴史を見てたのしかったです(5年生 )、 ・歴史にとても興味がわいてきました。 ・歩くのが速くてついて行くのが大変でしたが、知らないことばかりで、もう少し時間をかけてゆっくり巡りたいです。 ・自然が切れてい゛歴史を学べてまた機会があったら歩きたいです。

 ・史跡を何となく見るのではなく、そこに至る過程、為政者のしたこと、人々の生活など見る視点を考えさせられる探訪でした、上野さんにはもの凄くご苦労いただき感謝しています。

 歩いて自身の体力を憂う参加者がかなりいました。健康で生きることの大切さが分かり、また、コロナで距離を置いてきた人とのつながりを、一緒に食事をすることで取り戻したのではないかと、食事の様子を見ながらこの企画実行して良かったと思いました。

<上野の感想など>
 今回は、55名という大勢の参加数だったため充分な史跡説明の時間がありませんでした。それで、どちらかと言いますとウォーキング主体でした。また、福重地区(10町)は、大村市内では、広い地区の一つで史跡も数多く(福重地区設置の史跡説明板だけでも33基もあり)今回は、弥勒寺町、今富町、福重町の5町だけで、しかも多数ある史跡の極一部のみの見学でした。そのようなことから、また、機会あれば史跡巡りを中心にいらっしゃって下さらないでしょうか。

 なお、私達が作成発行しました冊子「福重の石仏を多数購入して頂き、ありがとうございました。最後になりましたが、参加された皆様、坂道も多い今回の6キロ強走破され大変お疲れ様でした。平地にも史跡は多いので、機会あれば、また、いらっしゃって下さらないでしょうか。
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・主な関係ページ:
福重の名所旧跡と地形(もくじ)」 

大村の石塔、記念碑、石碑、碑文など(もくじ)」 

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(掲載日:2022年10月25日)



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